選手は商品?

わたしはスポーツ観戦はなんでも好きだが一生懸命頑張っていい結果が出るのがスポーツ。一生懸命頑張ってもいい結果が出るとはかぎらないのが人生だと思っている。スポーツを似たように論じる人がいるがわたしは違うと思っている。オリンピックのことを思うと選手はつらい思いをしているが開催地だから尚更だろう。違約金や賠償金問題で日本から辞めたいと言えないのだろうがお金まみれのスポーツになっているからよけいにおかしくなっている。それは選手もスポンサーのことを考えれば同じこと。中には選手でも中止にしたほうがいいと思っている人もいるのではないか。これだけ世界中でウイルスが猛威をふるっているのだから常識的には無理だと思うが商売となれば欲望も出て選手が商品に見えてきてかわいそうになる。欲は人の思いとは別に流れていく。現在の騒ぎでわたしは戦前の戦争のことを思い浮かべた。

角栄さんが懐かしい。

官僚の薬害の責任逃れでワクチンの接種が遅れた感じだが投与が遅れて死者が出るなも逆薬害。そこをしっかり切り込むのが政治家なのになにもできずこちらも二言目には専門家に聞いてなどと他人事。角栄さんが懐かしい。あの人ならなにかやってくれると期待したくなるもの。評論家みたいな政治家ばかりでなんだかなあという気持ち。

69 「神」の諡号がつく天皇。

その日本に対して朝鮮は「神功皇后」の時代から貢ぎ物をしています。この女性のことは現在卑弥呼ではないか、本当に朝鮮征伐に行ったのかとさまざまな議論があります。貢ぎ物をやめたから征伐に行ったとされていますが、敗戦により戦後は影の薄い人物になっていますが、戦前と戦後の扱われ方は彼女が一番落差があるのではないかと思います。琵琶湖の米原近くの出身で今でもその土地を訪ねると名残りがありますが、琵琶湖周辺は半島出身者が多く住み着いていますが、韓国人が言う半島出身者が「祖国」から貢ぎ物を取ったり、あるいは征伐に行くというのは不思議な気がします。やはり半島に日本の国を持っていたか統治していたと考えるのが自然ではないでしょうか。それに『宋書』や『南斎書』には倭王は朝鮮全土の統治者として認められています。わたしはこの皇后は存在していたと考えていますし後世の人が天皇諡号に「神」という文字を充てているのは神武・崇神・神功・応神天皇と数人しかいません。この神と諡号がある者は勢力を拡大した共通性があります。神武は九州から大和を崇神は国内をそして神功は半島へとです。彼女が天皇ではなかったのかと言われるのもその由縁で戦前にはそう考えられていました。維新によって天皇の立場は大きく変わりましたが敗戦によっても大幅に見方が変わってきました。日本人は皇国史観によって今までの歴史にものを言えなくなり、逆に間違った歴史認識が流布しているというのがわたしの感情です。金達寿のような行きすぎた民族主義者が現れてきて、それに同意する日本人もいて本来の言葉の意味とは違う言葉を作り、歴史を教えない日本の教育の弊害が出ていると感じます。戦前の行きすぎた皇国史観によって沈黙をさせられるようになってしまいました。しかし歴史は民族の誇りになるのですから今日歴史や国語教育が軽んじられたり、排除されようとする教育は逆に裏側に植民地政策が横たわっていると意識したほうがいいと考えます。

 

68 美容整形をしても昔から美人ではない。

経済的豊かな国に人々が流入してくることは当然のことです。豊かになった戦後の日本でもアメリカに渡って一旗揚げようとする人もいましたし、逆にその日本にきて家族を救おうとするアジアの女性たちもいます。今は「グローバル化」と言いますが当時は「コクサイ化」と呼ばれていました。フィリピンやパキスタン人・中国人がやってきてバブル経済時代の「きつい・きたない・きけん」という3kの肉体労働についていたことをわたしたちは知っています。経済状態や世の中が変わるというのは自然の成り行きで、今日では日本人が中国で働く人が増えたのもそういった社会の変化を提示しています。そしてどこの国でも社会の暗部や恥部は隠したいものですが、わたしは韓国が常に日本に言うように正しい歴史認識だけは忘れてはいけないと考えます。なぜなら生きる知恵は過去から学ぶものだからです。たとえは悪すぎるかもしれませんが日本も韓国も昔はあまり美人ではなかったが施術をしてきれいになったからと言って、昔からそうだったという意識はいけないと考えます。歴史をわずかでも調べれば、韓国と日本の経済的豊かさと国力は古代から歴然としています。それは『三国史記』や壬辰倭乱のことを書いた『懲毖録(ちょうひろく)』・スウェーデン人のアーソン・グレブストが書いた『悲劇の朝鮮』などを読めばわかります。『懲毖録』は日本では「文禄・慶長の役」のことですが、その最中に書かれた李氏朝鮮史書のことで現在は韓国の国宝にも指定されています。『朝鮮の悲劇』もまたその時代に書かれたものですが、秀吉の朝鮮出兵に乗じて日本にいた宣教師たちが布教活動を行うようになっていました。それまでの朝鮮は「黄金の国ジパング」の日本と違いヨーロッパの人々にはその存在はほとんども知らない国でした。そこに秀吉軍と一緒入ってきた彼らが書き残したから広まったということもあります。実際に日本や朝鮮の歴史を知る上で、彼が詳細に書き残してくれたおかげで見えてきたものやわかってきたことがたくさんあります。残された文字の力です。二国の歴史小説やテレビドラマ・映画及び国状や施政者の性格・容姿などは彼らの文章から多く取り入れられています。信長や秀吉・その他の戦国大名のこともです。それは朝鮮の国状や人物も同じことです。朝鮮が貧しかったことは山国で生産性が低いこともあります。そのためか当時の朝鮮は人口が一千万人は届かず日本は二千を超えていたとされます。兵力は朝鮮軍が五万、秀吉軍はその三倍とも言われていましたので兵力も圧倒的に違いすぐに侵略されてしまいました。その後十八世紀の江戸はすでに百万都市でロンドンは八十万・パリや北京は五十万とされていました。人口が多いというのは豊かさを証明していますし、その頃の武士はだいたい人口の一割とされていましたので日本は大変な軍事国家です。

 

 

 

67 「君が代丸」。

その「からゆきさん」と反対の言葉が「じゃばゆきさん」ということになります。日本がすっかり豊かになると今度はアジア各国から日本に出稼ぎにくる人々が増えてきました。その彼女たちにつけられた言葉が「じゃぱゆきさん」です。「じゃぱ」はジャパンということでしょう。日本で少し働けば貨幣価値が違いますらすぐに豊かになり立派な家も建ちますし兄弟たちも学校にも行くことができます。生活も楽になるということで多くの女性たちがやってきました。もちろん韓国の女性も例外ではなく妓生パーティで知り合った日本人男性に、便宜を図ってもらおうとして社会問題にもなりました。ましてアジアでは最貧国の国でしたが「漢江の奇跡」を起こす一九六〇までは国内総生産北朝鮮を下回っていました。そのことを脱した後にもやってきていたのですから「併合」当時にはもっと自由にきた人たちもいます。実際に大阪と済州島には毎月日本にくる人々のために「君が代丸」という貨客船もありました。現在でも大阪に済州島出身の人々が多く住んでいるのもその影響です。一九四八年の済州島の四・一事件のおりには日本にいる家族や親族を頼ってやってきて住み着いた人たちもたくさんいます。政府軍や警察による政治弾圧による虐殺のことで、島民の五分の一の六万人が亡くなったという事件です。わたしは済州島にも二度行きましたがあんなに美しい島にそんなことがあったのかと考えると、シンガポールでの娼婦たちの死後の扱いと同じくらいに胸が痛くなりました。ヨーロッパや中国に行っても「戦争の跡地」は訪ねるようにしていますが、戦争は悲劇以外なにも生むことはありません。柄にもなく立派な発言で恥ずかしくなりますが、わたしが神社を歩いているのも歴史の裏側や稗史を知る愉しみもありますが、神社には祟りを怖れて殺された死者の魂を鎮めるためのものもずいぶんとあります。世界中がそのうち戦争の跡地ばかりにあるのではないかと言うのもそのためです。悲惨さは常に人間同士が作っています。話し合いで解決するということはなかなかに難しく、それゆえに真剣に考え続けなくてはいけないと思います。平和憲法などと苦い薬をオブラートで包んだような言葉を便利に使ってはいけないと考えます。

66 「からゆきさん」。

そして日本の公娼制度はアメリカのGHQの女性の人身売買を廃止しようとして、昭和三十三(一九五八)年にようやく売春防止法が成立してなくなったものです。それまでは公認で売春は行われていました。歴史的には画期的なことでGHQは立派なことをやったという思いにもなります。その制度が韓国ではつい近年まで残っていたということです。だから犯罪ではありませんし公然と行われていました。年配のわたしたちはそのことを知っていますし、日本では売春も買春も犯罪になりますから日本人が大挙して妓生パーティに行っていたことも知っています。それで韓国は外貨を稼いだのですが日本もそれは同じことです。昔「からゆきさん」という言葉がありました。その対語は「じゃぱゆきさん」です。「からゆきさ」は「唐行きさん」のことで東南アジアや東アジアに日本女性が行って娼婦となることです。一般には南九州の女性が多く農村や漁村の貧しい家の女性が女衒(あっせんぎょうしゃ)によって集められていました。主にシンガポール・香港・ボルネオ・タイ・インドネシアなどに管理売春をさせられていました。わたしは二十代の頃小栗小巻や田中絹代が主演した「サンダカン八番娼館 望郷」という映画を観て衝撃を受けたことがあります。娼婦家族のために身売りされやがて戻ってくるのですが、今度は故国で差別や迫害を受ける映画でした。田中絹代が演じるその哀しみの慟哭が今も耳に残っています。成人しシンガポールに行った時、彼女たちが埋まっている日本人墓地に足を伸ばしましたが言葉が詰まって出てこないという思いにもなりました。墓地には軍人の大きな暮石もありましたが、その足元には無数の娼婦たちの小さなお墓が広がっていました。ただなになにちゃんのお墓と書かれたものもあり、死んでまでも出自を隠さなくてはいけないのかと重い感情に支配されました。軍人のものは大きく彼女たちのものは足が当たると倒れてしまうのではないかと感じるものでしたが、国家のために外貨を稼いでいる彼女たちのほうが軍人よりも立派なお墓が必要だろうとも思いました。