個人的予想。

共産党の投票数はおおよそ600万、公明党は650万前後と言われ共産党の得票数の半分は死票公明党票はすべて生きている。本気で野党が共産党と組めば政治は逆転する。今回はわからないが来年の参議院選挙ではそうなるはず。自民党はなにもかもうやむやにしていると野党になる。

組織は中から崩壊する。

一般にはやましいことがあるから逃げるのだが。将来の「天皇家」は人々が今より無関心を装うようになるし利用できると思い崇敬とはほど遠いものとなるだろう。組織は外から壊れるのではなく中から崩壊していくことは歴史が証明している。

159 一つの失策が大きな崩壊を生む。

戦後、懸命に象徴天皇としての形を作ろうとした努力は水泡化すると考えます。少なくともなに一つ自らの言葉で発言せず、文章で対応しようすることに国民も反発を買いますし、誠意や誠実さには欠けています。ましてたかり屋やペテン師、税金泥棒や年金詐欺などといろいろと言われているのになんの対処もしません。それはできない理由があると考えるのが普通だと思いますが、それなのになぜ結婚を急ぐのか、なぜ身辺警護で税金がかかるニューヨークで暮らそうとするのか、矛盾が多すぎると考えます。何百万人が天皇の名の元に逝ったか、そして戦後、どうして守られたかということを顧みますと、皇室や宮内庁はそのことを忘れたのかという気持ちも芽生えます。もちろんそんなことがないということは戦後の宮内庁の努力を思うとわかりますが、時代とともに受け継がれることも意識も薄くなってきます。どんなことでも一つの失策が大きな崩れの元になりますが、わたしは今回がそのことではないかと推測します。失礼ながら宮内庁秋篠宮家はもっと深く配慮したほうがいいのではと感じます。よくしょうとすることはいくら時間をかけてもいいと思います。何事も急いていいことはないはずです。またそれでもそうしなければいけない理由があるとすれば、少なくとも国民の疑念をもっと解消してからでも遅くないはずなのに、なぜ急ぐのかということも思案させられます。昔と違いこれだけの情報社会になればこれからの「歴史」はわたしたちが共有して作っていくと考えれば、秘密にして権威を守ろうとすることは無理だと考えます。

158 常に「理性」よりも「感情」優先する。

そこに首を傾げたくなるような感情が萌芽してきます。下々のレベルと違う立場だから宮内庁があり、毎年多額の税金が投与され権威を作り上げているのです。それが国民の精神的支柱になればいいと考えている人とそうではないと思う人がいれば、今日の象徴の「天皇制」はいつまた政治の舞台に登場しないとも限りません。そのためにも今回のことは重く受け止め、誰もが言うように納得できるような行動をしなければなりません。それなのにテレビやラジオは芸能人の恋愛と同じレベルでものを言います。わたしも含めて大衆は愚かだということを忘れています。それゆえにこれでいいのかと絶えず考えて発言しなければいけません。あるいは宮内庁はほとぼりがさめたらなんとかなると考えているのかもしれませんが、もし権威をながく続かせようとするなら逆の作用になるのではと感じます。物事は安易に都合のいいように流れますと容(かたち)そのものが歪み壊れていきます。それとこのことは法律や憲法の問題ではなく国民の感情だということを忘れています。感情的には国民の九十五パーセント近くが祝福したくないと言っているのですから、やはりそのことを解す努力をしなければいけません。まして不正受給は犯罪です。その他のことも皇室を利用していると感じている国民も多くいるのですから解決しなければ先々まで続き、天皇家の権威の失墜につながるはずです。平成天皇や現天皇の生きざまとは遠いところにある気がします。わたしはこの二代の天皇は常に国民に寄り添った発言と行動をされていると感じていますので、ようやく象徴天皇という形ができていると大変に好感を持っています。しかし今後は国民の感情が離れていくことは間違いないでしょう。

157 季節や日によって太陽や月の明るさは違う。

生活もできない者たちが愛や恋だというのもおかしなもので、そういう人間がどうして皇室の人間に求愛できるのかと思うと首を傾げたくなります。こういうものは決して「純愛」だとか愛を貫いたなどということではないはずです。乙女チックな漫画の世界という気がします。そういう人間が相手を太陽のようだとか月のようだというのも幼い気がします。太陽だって夏の太陽もあれば冬の太陽もあります。朝の太陽と夕暮れの太陽とではその光芒も違います。月だって同じことです。晴れた夜空と曇った夜空では輝きが違います。満月か三日月でも違います。わたしは具体性のない言葉を聞いた時、自分のことでもないのに恥ずかしくなりましたし、正直地に足がついていないのではという思いになりました。多くの国民は生活に追われて懸命に生きていますし、彼らの言葉はどこか浮世離れした感覚だという意識を持ちます。物事を公平・公正・公明ということを「民主主義」の第一義だと考えている者から見れば、明らかに軽い言葉だと感じましたし不自然な言い方だと思いました。それにその後、日本人が一番嫌う金銭問題や誠実さが見えない姿はどうかという気にもなります。野放図に見えたり我を通す姿は「民主主義」ではありません。多額の税金が投与されているのですから説明責任というのはあります。なぜアメリカの大学で奨学金が獲得できたのか、どうして物価の高いアメリカで生活が続けられたのか、許嫁でなかったのならどうなのか、母親の金銭問題をなぜ未だに逃げ回っているのか、年金や休業給付金の不正受給と思われている名誉をどうして回復しないのか、なぜこのコロナ渦で国民が苦しんでいるのに結婚しようとするのか、あるいは定職もない人間がどうして食べていけるのか、そういった状態でどうして生活をやっていくのか、なぜ三十までに結婚したいのか、ここには「純愛」を感じさせるものはなにもないと考えます。敬愛できる崇高さは見当たりません。それにわたしは母親の問題よりも、自分がまだ人を頼っての生活なのにどうして求婚したのかという気持ちのほうが気になります。

156 「自由恋愛」ではなくどうすれば「幸福」になれるかを考える。

権威付けをするのには物事を秘匿し神秘性を醸し出すのが一番ですが、それは歴史を覆い隠すということにもなってきます。それに明治以降からの「天皇制」を振り返り戦後の天皇家の存在がまだ盤石ではないという気もします。あるいは強引な天皇国家を作ろうとあらゆることに弾圧を行った怖れが、まだわたしたちの血の中に流れているのかもしれません。今度のことに誰もがはっきりものを言わずもどかしい言葉が乱舞していますが、この国の「民主主義」はまだ遠いところにあるということでしょう。アメリカやイギリス・フランスとは違い権威を守ろうという意識が見えてきます。まだ怖れることなくものを言える国ではないということです。個人的にはとくに皇室にその感情があり、言い方としては失礼で問題があるかもしれませんが、触らぬ神に祟りなしという感情が潜んでいるという感情も抱きます。言葉が過ぎるでしょうが下々の人間としての思いでは、たんに躾が悪い、教育が悪かった、甘やかしたのではないかということになるはずです。まして国家の象徴として敬愛している国民も多くいるのですから皇室だけではなく、宮内庁の対処もどうなのかという疑念を持たれてもしかたがありません。もちろんそのことは彼らも十分にわかっていることですし決して攻撃しているのではありませんが、彼ら自身が天皇擁護ということに委縮しすきているのではないかとも考えます。何一つとして払拭できなかったと感じている者から見れば、よくないことはよくないと言わなければいけませんし、本音を言いますと秋篠宮家が結婚を認めると言うのではなく、親として認めないと言えばよかったのだと考えます。どこの家でも多くありますし自由恋愛が幸福への全てだとは思いません。