154 歴史は「接ぎ木」。

わたしは日本の「歴史」は『日本書紀』が書かれたことによってあるいは明治維新によって大きく変わったと考えている人間ですが、それは敗戦後「民主主義」という言葉によっても変わったと思っています。それがいいこととか悪いことと言うことではなく、日本の「歴史」に大きな断層ができたと感じています。また「歴史」は接ぎ木のようなものだとも考えています。体制や権力が移行すれば「歴史」も変わるということです。そういう意味でも今日の体制は維新以降に作られ、敗戦で改めて「歴史」は作り変えられました。天皇は国民の象徴としての存在になったのです。その源になっているのが伝統や文化だと思っていますので、そのことを喪失した時のわたしたちの気持ちは甚大なような気がします。それはフランス革命ロシア革命で「王朝」がなくなった時の人々の心を思うとわかります。革命は接ぎ木ではなく焼き畑農業のようだとも思っています。なにもかも焼き尽くして新しい芽を育てるというふうにです。日本はそのことをフランスやロシアと逆にやったという気がします。「王政復古」も「維新」もそういう言葉です。武士の支配から庶民の「民主主義」に行かず、天皇のほうに権力を集中させたのが明治時代だと考えています。戦争に負けて初めて庶民に多少の「権力」が与えられたのが、今の日本の「民主主義」だと見ています。それにわたしは勝者の言葉は信用していません。自分たちの正当性や優位性を文字に刷り込むと考えているからです。その最たるものが『日本書紀』ではないかとも穿った見方もしています。それゆえに『稗史』や『偽史』のほうに「正史」があるのではないかと思い神社や島を巡って一人で愉しんでいるだけです。しかし新しい古文書でも見つかれば別ですが「歴史」はやはり今日でも古い文字を持つ『記紀からしか下って行けないのも事実です。