153 国家造りには共同幻想が必要?

それでもわたしが天皇家を必要だと考えるのは伝統や文化の継承者としてのことです。あくまでも国民のための天皇家であって天皇家のための国民であってはいけないと考えます。そうなれば戦前の立場に戻ってしまうのではないでしょうか。そのことは政治家にも言えることで国民のための政治家であって、政治家のための国民になってはいけないということです。国家のための国民ではなく国民のための国家であるべきだと考えます。そうならなければいずれは全体主義や独裁政治に傾いていくと思っています。実は「万世一系」という言葉も明治から表立って使われ出した言葉です。大日本帝国憲法第一条に「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」とあります。天皇という言葉と同じように大日本帝国憲法に定められたものですが、今日、教育が進み本気でそう思っている人は少ないでしょう。また敗戦によって多くの言葉に規制がかかり口の端に乗せる人が少なくなっていますが、維新後の国家造りに登場した言葉であることは間違いないはずです。戦前までの教育では神話も歴史になっているのですから、わたしたちがそう思い込むのも無理のないことです。二千年も続いている家系だとは誰も思ってはいないでしょう。そこには教育の恐ろしさがあります。後でもっと詳しく述べますが、それでもわたしは積極的ではありませんが支持します。無条件に皇室を崇拝しているわけではありませんが、今日でも万世一系共同幻想がわたしたちの精神の支柱になっていると考えている人々がいるからです。その権威作りは国家として大変なものですがこの体制を国民として誇りにしている人々もいます。そしてこれらのを考え世界を見渡せば、多くの国が権力や政治のために歴史を作り変えているという気もしてきます。日本も敗戦によってまた塗り替えられたということになりますが、革命や血統で政治が受け継がれていくと「歴史」は彼らの権力や権威のために変容・変質していきます。