152 歴史も矛盾で成り立っている。

それでも自分でも理解できない感情に翻弄されて書くというのが小説家のような気がします。小説は人がなんと言おうが書きたい人が書き、書かずにはいられない人が書くものだと感じます。どんなジャンルでも同じことでしょう。蟻地獄に入り込んだら腹を決めて精進するということになるのではないでしょうか。少し大げさに言いますと簡単に諦めたり自分が納得いくまでやらないと、人生を棒に振ったり自死したりするのではないかと想像します。病気でなければ死ぬほどの絶望でもないようにも思えます。死ぬくらいならもっと頑張ればいいという気もします。時間をかければ人ができることは自分もできる、自分ができることは人もできるということになるとも考えます。わたしが十年以上もぼつ原稿を書き続けそれでも手放さなかったのは、彼のようになりたくないと思ったからかもしれません。やめればそこで人生が断ち切れると怖がったのかもしれません。わたしはそのことを才能があったあの男性や身近で亡くなった人たちから学びました。そしてそのことは個人の小さな人生の歴史も国家の歴史も同じことだと考えていますが、歴史「を」学ぶではなく歴史「から」学ぶというのが個人でも国家でも同じことだと考えます。それだからこそ特に「正史」とされる歴史に嘘や捏造、隠蔽するものが多くあれば、わたしたちは歴史から学ぶというよりも逆に間違った方向に判断して進んで行きます。またそういうことがありすぎますが、それは新しく体制を作った勝者が自分たちのことを殊更に過大評価したり都合のいいように糊塗してしまいます。維新以降の歴史を見れば何百年も実際の政治や統治に関わっていなかった天皇が、国家の中心に再び置かれ今日の「正史」がありますが、逆の立場から見れば相当に無理な解釈もあり綻びもあります。