151 「余技」で成り立つ世界はなし。

また書くことは多くの時間が必要となります。時間があるからといって簡単に書けるものではありません。行きつ戻りつして書き上げたとしてもその作品が陽の目を浴びるということもありません。むしろ徒労に終わるほうが多いものです。断言しますが片手間で決してできるものでもありません。そういった世界にミケランジェロがいるとは思えません。彼らのように工房システムで手分けして書くという世界もありますが、そんなことをしてまでなぜ書くのかという気持ちにもなります。それは売るための商いですし、会社組織の出版社の儲けや自分の名声のためとしか思えません。「お話」ばかり書くようになったわたしが言うのもおかしなものですが、そこには一生を賭けて人生を生きるということからは遠くにある気がします。有能な職人世界や「芸術家」の領域とは違うようにも感じます。自分の才能と能力を信じてこつこつと頑張るというところにその人の思考や意識が表現されてくるのではないかと考えます。もちろん才能のある人を排除しようとする論法ではなく、これだけ自殺者の多い世界で有名無名に関わらず全国には一生書き続けている書き手が多くいます。それなのにテレビで顔が売れたからとかファンクラブの仲間がたくさん買ってくれるからというだけで、書いたというものではない気もします。あれもできるこれもできるという人が書いたもので、時空を超えて読み継がれているものがあるのかというと甚だ疑問です。じゃあおまえにはそんな作品があるのかと問われますと、もちろんないのですから偉そうなことは言えないのですが、生半可なことで蟻地獄に入って行くと残りの人生がもったいないということにもなってきます。カフカでも宮沢賢治でも生前には一冊の本もありませんが、死後光り輝いてくる作品はいくらでもあります。あのゴッホもそうでしょう。その上悲惨なことにもなりかねませんので、安易に思い込むのはどうかという思いにもなります。それに毎年夥しい書き手が出てきて、出版社がずっと面倒をみるということはありません。出版社も会社で利益集団ですから売れなくなれば淘汰されるのは当然のことです。