150 自ら蟻地獄に入りたがる人々。

ながく小説を書いてきて作家には自死する人が多くいると知りましたが、わたしの周りでも例外ではありません。それは常に一人でいて孤独に打ち克たなければいけない仕事だということと、いい作品を書いたとしても人の評価は別だということです。それでもなぜ続けるかということは本人もわからないのではないかと思います。音楽や絵画、将棋や囲碁またいろいろな分野でも同じことで、人様から見れば摩訶不思議な世界だという気もしてきます。それは恋愛の感情にも似ている気がします。わたしは自分の短い人生の歴史の中で諦めてはいけないということを彼から学んだ気がします。諦めるにしても自分が納得するまでやってみる、最後は自分で結論を出すがそれまでは他者の判断に委ねると決めました。多芸と余技は違うという気持ちも生まれました。寿司屋なのに鰻も出す。あるいはラーメンも蕎麦も出すというお店はいくらでもありますが、一芸に秀でることとは少し違う気がします。たとえばタレントや漫才師、人気のある女優が小説を書く人たちがいますが、それは書くというより出版社の経済的事情もあり書かされているという気もしてきます。心血を注ぐということは余技と違うという思いにもなります。また一冊や二冊は編集者の手を借りて書けたとしても、ずっと書き続けていくということは大変なことだと思います。またなぜ自分が摩訶不思議な感情に支配されて書くのかと思案しますと、自ら蟻地獄の中に入っていくようなものだという感情も生まれます。有名になりたい、人に憧憬の目を向けられたいと願うものとは違うと思います。小説を本気で書きたくなればそれまでの仕事を辞めて打ち込む人もいますが、書き続けるということはそうならざるをえないところもある気がします。書くという魔力や魔物に憑りつかれてしまうのです。