149 「幸福」は生きているからある。

なぜわたしがこんな説教臭いことを書いているのかと言いますと、個人的に苦い経験があり今も忘れられないからです。わたしは若い頃に年配者に誘われて同人誌に顔を出していたことがあり、そこにたくさん読書をしていていい小説を書いている人がいました。わたしと年齢も近くいずれ世に出る人だろうと周りの人はみな同じ思いを抱いていました。しかし彼は間もなく自死しました。そうした理由は未だに謎なのですが、その一日前まで一緒に飲み愉しく別れた後でしたので、わたしはなにか彼の心を傷つけたのかと悩み、しばらくその思いにとりつかれなにも手につきませんでした。心当たりがないのです。今も記憶が遠のくことはありません。それから言葉を選んで生きるようになったところもありますが、彼から学んだものは多くありました。お酒を飲んでの政治や宗教の話はしないこと。人がしゃべっていることはすぐに否定せず最後まで聞くこと。そして相手には配慮をするということでした。こういうふうに自己規制がかかると人間が小さくなる気もしますが、あの頃から一段と性格も変わった気がしています。それが自分にとって幸福なのか不幸なのかわかりませんが、その人物のようによけいに本を読むようにもなりましたし、必ず彼のためにも小説家になろうと心に決めました。わたしが十年以上もぼつ原稿が続き諦めなかったのも彼の存在と原稿を読んでくれて叱咤激励してくれる編集者がいたからだと思っています。それとどんな理由であれ自殺はよくないという考えにも至りました。生き残っている者には心の傷になりますし、もし兄弟や孫がそのことを知れば自分の中にも同じ血が流れていると、怖れさせて生きらせることになるのではないかと思うようになりました。最もそうなる原因の多くは病気ではないかと思い込むようにもなりましたが、どんなことがあっても命だけあればまた別の世界が見えてくるという思いにもなっています。幸福は生きているからあるのです。逝ってあるのはあの世かもしれませんがそうなっている人を見たことがないのですから、宗教を第一義に考えている人には怒られるかもしれませんが、まずこの世の此岸でなにがあっても頑張るというのが、少し大げさに言えばわたしたちがこの世で生きることの初発だと考えます。