147 人の目は他人に向けていない。

古代中国の人々が物事が成就することに果実や結果、結実などという文字を充てたのもそのためだという気持ちを持ちます。懸命に納得するまでやる、駄目ならまたその経験を別の分野で生かして頑張るということではないかと思います。諦めず放棄しない、自分で自分のことを決めつけない、思い込まないということも大切だと考えます。我が身の性格は自分が決めるということではなく他者が決めるということです。その性格も人によって見方が違います。そして才能も自分があるというのではなく、他者が見つけてくれるということです。このことは最初のほうにも書いたかもしれませんが、わたしたちはどうしても自分のことは人の目よりも自分の目で見てしまいがちです。そのことは若い時分なら尚更でしょう。あの人間は自分をこういうふうに見ているのではないかと思うのも自分の思い込みですし、逆に人は他人のことをあまり気にしていないということに気づきません。わたしも若い頃には人の目が気になりそういった傾向にありましたが、小説を書くようになりそのことが間違っていたということに気づきました。自分がいいところだと思っていても読んでくれた人はまったく評価せず、むしろこちらがよくないと考えていたところを褒めてくれることが往々にしてありました。また自分が気分よく書いたところほど鼻もちならず危険だということも気づかされましたし、苦労して呻吟して書き、よくないのではないかと感じているところが反対に評価されることもありました。つまり小説も普段の人間関係と同じように自分が気分よくなったり、偉そうに書いたりしたら弾き返させられるということです。自慢話や殊更に人を褒め上げることや逆に自分を卑下したりすることも嫌われる原因になるということです。小説に求められることは人や物事を客観的に見るということが大切ですが、それは人間関係と同質のものです。