143 物事の成就になぜ果物の文字を充てるか。 

それは学者や芸術の世界も顕著のように感じます。またそのことは子どもたち世界でも同じことで、自分たちと違う異物が入ってきますと本能的に排斥されるのではないかと感じ、距離を取りのけ者にしたりします。また逆に彼らに力があると思えば気に入られようと近寄る人もいるでしょう。いざとその仲間なれば守ってくれると考えるかもしれません。わたしは動物番組が好きでよく見ますが人間も同じではないかと感じます。人間も動物も一番は生きていくということですからなによりも縄張りが必要です。子孫を残すことも大切です。人間も一緒だと考えていますので本人は意識しなくても、自分の保全を考えてしまうということもあるでしょう。わたしは人間関係を構築して生きることは苦手ですので、運よく一人でやれる世界いることができるようになりましたが、人と接しないということは孤独にも陥ります。どんな職業で同じかもしれませんが、この孤独に打ち克つということが一番必要ではないかと思うことあります。それには自分の好きなことを見つけるということが大切だとも思います。わたしたちは好きなことしか頑張れないし、また長続きはせず挫折をしてしまうということになるのではないかと考えもします。たとえば武者小路実篤は「桃栗三年 柿八年 達磨は九年 俺は一生」と言っています。古代中国において物事が成就する文字に、結実・成果・結果・果実などと果物の実の文字がよく充てられています。それは殺虫剤や消毒液がない古代は果物を育てるのは最も難しいこととされていました。