141 神社は子宮。

またお参りするところにはお手水(ちょうず)があります。今日では手をを浄めるところですが、人間は豊かになったりお金持ちになりますと横柄になったり、横着になってきます。なにもつらいことや面倒なことをやる必要はないと自分勝手に考えてしまいます。古代においては神社にお参りする時は、水垢離や湯垢離をして体を清め神様にお祈りをしました。それは大変でつらいことですので簡単にすまそうとあのお手水を置いて簡略するようになったのです。生活がつらかったり、苦しかったらわたしたちは真剣に神頼みをしますが、そうでなくなればあるいは豊かになれば驕りも出てくるということでしょう。そしてお参りにきた人はお百度を踏み祈願します。そこを歩くことを参道と言います。実は神社は女性の子宮全体を表していると言われてもいます。鳥居は女性が脚を広げた形、参道は産道、水垢離・湯垢離は体を清め寝屋に入るための鉄継、お百度はセックスをしている時の動作、その結果子どもがたくさん生まれ家が栄えるという論法です。それゆえ最も不浄だと考えられている女性がお参りするということね。同性とセックスをするということも考えていません。子どもができないからです。まちお参りできない女性は尼寺を造りそこで別に祈願したというわけです。多くの神社に男根を祀ったり、大きな樹の枝分かれのところに注連縄を巻いているのも、そこを女性の性器だと考えているからです。神社に家族繁栄や夫婦和合・家族安寧のご利益があるというのもそのためです。