132 「信州」と「神州」。

実はわたしはこども時分には戦闘機や軍艦のプラモデルをよく作っていました。軍歌も大声で歌っていました。今も歌えるものがあります。子供心にも勇ましく感じ心も高揚して歌っていたのでしょうが、現在は口にしません。亡くなった人たちに失礼という気持ちになり軽々に歌えなくなりました。それにあちこちの戦争跡地を歩いていますと、戦争のことについて自分がなにを知っているのだという気持ちになります。こうして偉そうに書くのももってのほかだと思いますが、信じられないほどの犠牲の上で天皇家は日本国の「象徴」ということになりました。「神風特攻隊」を作り多くの若者を死に追いやりましたし、二十歳そこらの彼らが本当に天皇陛下万歳と愛国や国体のために死んだとすればかわいそうでしかたがありません。愛国や国体はなんだということになります。人の命よりも貴いものはなんなのかと考えさせられます。そんなものがあるはずがないのにわたしたちは共同幻想を抱かされてしまいます。国民すべてが狂っていたというほかに言いようがありません。鹿児島の知覧特攻平和会館に行くと涙を流さずにはいられません。訪ねて心が重くそうならない人はいないはずです。生き残った親も家族をその哀しみを一生抱いて生きていきます。そして日本はいよいよアメリカ兵が侵攻してくると、「信州」に松代大本営を造り戦争を続行しようとしました。なぜ「信州」なのかといえば「神州」と語呂が同じなのでその言葉に祈りを込めたということです。特攻で軍艦を沈めようとしたり、竹槍でB29を落とそうとする光景は、ほとんど精神論だけで戦おうとしていたのですから今日から見れば異常としか考えられません。それでも日本人は言葉に畏敬の念を抱いて進んだのです。その思いは脆くも崩れましたが想像もできない悲惨さの末に今の豊かさがあります。