124 「焚書坑儒」は今も昔も。

こういうふうに書けば昔なら不敬罪になるかもしれませんが、ながい年月をかけて構築した歴史や文化を手放そうとは国民はしていないはずです。宮内庁や政府の責任は今後の日本のことを思うと重大でもっとしっかりしなければという気持ちは、わたしたち国民に多くあるのではないでしょうか。なぜこうも大騒ぎになるのかと考えれば、それは「権威」を殊更に守ろうとする国民の力が働いているからです。庶民になるのならば護衛もつけず二人でやっていけばいいだけのことですが、それを宮内庁や国民が許さないのも「権威」を守ろうとするからです。皇室を愚弄するような説明不足をふさわしくないと言うのも「権威」が邪魔をするからです。また彼らも「権威」を利用していると見るからです。実際、婚約者でなければ留学も大学の入学も可能だったかという疑問もわたしたちにはあるはずです。恋は盲目というだけでは片づけられないものがあるはずです。どうなるのかわかりませんがそれでもわたしは象徴天皇の存在を支持します。個人のための「権力」は困りますが国家の歴史や文化の継承のための「権威」は存在したほうがいいと考えます。日本で古くから最も文字が書き残されているのが天皇です。それは『稗史』も『偽史』もある歴史ですが、その中から真実の歴史を探さなければいけないのですが、現実は決してそういうことにはなっていません。焚書は歴史の常ですし権力者や罪を問われる者は必ずそのことをやってしまいます。秦の焚書坑儒からナチス・ドイツや日本の敗戦時の焚書は絶えることがありません。現在でも官僚が自分たちの不都合を隠すためにメールを消去したり、資料を断裁してしまうのは大罪でながい目で見れば歴史をわからなくしてしまう暴挙となります。その中で日本の天皇天武天皇の時代から歴史ははっきりしていますし、それが日本人の歴史ともなっています。そんな貴重なことをなくなしてしまうのはどうかという気持ちになります。天武天皇が『日本書紀』を書かせる前にはもっと古い文章があったといわれていますが、それらを焚書したとされる今、新しい古文書が発見されないかぎり歴史を遡っていくということは不可能です。