123 「権威」は国民が作る。

もちろん異論や反対を唱える人が多くいることは承知していますが、そんな一族がいてもいいのではないかとも考えます。ただし「民主主義」国家である現在の日本において、莫大な税金を投与されて「権威」は維持されているのですから、日本国の「象徴」として国民がどう感じるかはしかたがないことです。今日、皇室の結婚問題がいろいろと報道され物議を醸しだしていますが、それも国民の感情が「象徴」に対しての思い入れがあるからです。そういう意味では現天皇が国民に理解してもらわなければと言われたのは至極当然のことでしょう。わたしたちの気持ちとともに歩くと言われるなら尚更のことです。あの問題は「象徴」も「権威」も放棄するという行動にも映ります。コロナ渦で人類の危機ともいえる時に、三十歳までに結婚したいという言葉が本当で、その上婚約者の親が年金の不正受給も噂され、なおかつ国民になんの説明もなく結婚するということは、どうなのかという気もしてきます。いずれ彼らが天皇家の一員となることを思えば「象徴」からは程遠いものだとも見えます。現天皇の言葉から大きく逸脱してしまうことになりますし、自分たちのことばかり考えていると言われてもしかたがないのかもしれません。世間では滅多に崇め奉られる人はそうはいません。多少は窮屈かもしれませんが昔と違い自由はあるはずです。わたしたちは生きていくために大変な苦労と人間関係の軋轢で疲弊して生きています。我慢も強いられて生きています。この世に自由に自分の思うように生きられる人は一人もいません。それにわたしたちは自分の生れた国籍や土地、環境や出自は変えることができず受け入れるしかありません。それは天皇家であれ庶民であれ同じことです。運命というものです。そういうことでは天皇家も同じことですが、天皇自身と違い皇室の女性はその運命すら変えられます。ただしそれはわたしたちに祝福されてのものでしょう。「象徴」たる家族に危惧を抱くから国民は戸惑うし動揺するのです。反対する感情が強くあるのに息を潜めて見守っているように見えるのは、わたしたちが心配や不安を感じているからです。宮内庁もよほどしっかりしないと「権威」を守ることはできなくなり、しいては国民の気持ちが逃げていくということになります。「権威」はわたしたち国民が作っています。日本国のシンボルよりも庶民感覚を持っているということになるのかもしれません。