117 人は過去に拘る。

文字が残っていないからといってそこに新しい歴史を作っていいということにはなりません。それは全国の神社を歩いていますと文字を持たなかった神社の稗史に、維新後新しい文字を加えていき「歴史」にしようとした日本も似たようなものですが、今日の時代においても韓国はそのことを続けていると感じます。それに常に上から目線のような物言いは、わかっていてもどこから芽生えてくるのかという感情も走ります。いずれにせよ彼らは歴史認識をしろと声高に言いますが、過去に拘りすぎる民族だという気もします。彼らは中曽根内閣の時代から政治家の「靖国」参拝を毎年のように問題にしていますが、それとともに中国も反対を唱えるようになりました。日本の政治家が神社のことにもう少し知識があったらこんなことにはならないのに、彼らの勉強不足が禍となっているところもあります。やはり歴史の付け合わせや教育がなによりも重要だということになってきます。今日でも世界中で偏向教育が行われていますが、権力者は常に自分たちを正当化する歴史作りをするということでしょう。多少でも公明・公正・公平に物事を見ようとする意識があればまた違った歴史が現れてきます。わたしは教育が大切だと考える時にいつも萩の松下村塾のことを思い浮かべます。若い吉田松陰が指導した私塾のことですが、そこから多くの維新の立役者が輩出しています。そのことは大変なことでもありますが、わたしが驚くのはその塾で若者が習ったのはたった二年前後の月日だったということです。逆に人に強く影響を与える教育の怖さを感じます。塾では学問以外にも兵学や軍事知識及び教練など実学的なものも教えていますが、三十歳にも満たない吉田松陰の思想がそれらのことを凌駕しているという驚きです。