116「血」より「家」が大切。

今でも何百年も続いている家系だと自慢する人がいますが、近年までの家制度のことを思い起こせば「血」が延々と受け継がれているということはないはずです。どんな家でも子どもに恵まれず「血」は途絶えます。それに五百年前に一人の人物がいて、その子孫が続いていたとしますとピラミッド式に何千・何万という人間が生まれています。天皇家ですら正妻の子が継承して行ったというのは数例しかありません。血統とは流れている「血」のことではなく家制度で受け継がれて行ったことは当たり前で、それゆえに養子をもらい「家」の存続を守ったのです。それでもわたしたちには貴種願望がありそのこと事態が差別意識につながるということを自覚しません。人間とはそういった生き物だと思うしかありませんが、その感情がまた国家や社会を作り、民族間の差別、出自や身分の差別を生んでいるということになってきます。近年、韓国では日本が行ったことや、やろうとすることに一つ一つ小言を言います。このオリンピック開催中においても食料が原発で汚染されている、開催反対、四百年前の壬辰倭乱の垂れ幕、あるいは軍艦島のことなど、すべてのことに難癖のように反応します。他の国も食料が汚染していて食べたくないと自国の物を持参して調理しているところもあるのでしょうが、彼らのみ常に声を上げて小言を言います。こちらから見ればそんなことをしてなにかいい結果を生むかという気持ちになりますし、ボイコットするならすればいいではないかと思ったりもしますが結果的にはそうはしません。日本人でやっかいな国だと思わない人はいないほどつきあうには難しい国家ですが、それも「恨」という感情から生まれたとしても度がすぎていると考えます。過去に遡っていける文字を宗主国の中国におもねて自ら消し、自分たちの「歴史」を捨てた経緯があるのにです。国家として歴史の乏しいコンプレックスが、反動となって逆に日本を殊更に攻撃しているようにも見えてきます。決してこのことは愚弄していることではありませんが、日本の「歴史認識」を問うなら、隣国として古いつきあいのある自国の「歴史認識」も掘り下げてもらいたいという思いが生まれてきます。