108 大将のいない戦争。

逆に小栗は日本の工業化を進めるにあたって反対する幕臣たちに対して、自分が「幕臣である以上、幕府のために尽くす身分で、それがまた幕府のためになる。徳川の仕事のおかげだと後で言われれば、徳川の名誉であり、国のため」だと言っています。なによりも近代化が必要でよく物事が見えている言葉ではないでしようか。また徳川家を親の病気に準えて「もう治る見込みのない親に、薬を与えないのは親不幸ではないか、たとえ国が滅びても、我が身が倒れるまで公事に尽くすのが真の武士」と言っています。しかし大政奉還の後、薩長や公家の一部はそのことを反故にし「王政復古」を進めて行きます。偽造した「錦の御旗」を掲げ、そのことによって諸国の藩主たちも動揺し離反したのもまた歴史です。そして鳥羽・伏見の戦いに突入していくのですが、小栗は江戸に戻ってきた慶喜に再考を訴えますが、逆に罵られ役職を罷免されています。慶喜尊王教育を受けていたかわかりませんが、武士の頭領としては不甲斐ないというそしりを受けてもしかたがないところがあります。武士は特権階級で役人でもありますがいざとなったら軍隊でもあります。それも敵対しすでに戦っているのに退却するのです。戦う兵士を残して退散するのです。いろいろと後付けをした話はありますが、指揮官がいない戦争などありません。日本の戦争の歴史にそんなことがあるのでしょうか。そして環境は変わりましたが人生を全うするのです。その上、今日でも強く否定されることもありませんし、日本のためによくやったという文章もあります。天皇に恭順した彼は忠君ということかもしれません。その後、薩長は函館まで戦いをしていくのですが、多くの武士や婦女子が亡くなっています。見方を変えれば部下を見殺しにする結果になっています。個人的には満州で多くの国民を置いて逃げた関東軍に似ている気がします。現在から見るわたしたちの目と当時の人々の目には相当の乖離があるのではないでしようか。それらを進めた慶喜と勝はどういう気持ちだったのかと改めて推察もしてしまいます。代々仕えた旗本としての小栗のほうが筋も通っていますし、約束を反故にした怒りもわかります。慶喜が維新の一番の功労者と言うのもそのためです。始めから恭順の姿勢ならばなにも戦うことはないのです。賢さや判断力があるというのではなく優柔不断だったという見方もできます。わたしには小栗の考えのほうが正鵠に思いますが、逆に無役にして遠ざけているのです。