105 アメリカの軍艦に乗った小栗忠順、咸臨丸に乗った勝海舟。

 

天皇家に反旗を翻したり、蔑ろにした人物は駄目だということになります。だから足利尊氏徳川家康は遠ざけられ、維新以後も徳川についた者たちは忠君ではないということになります。楠木正成はあっても足利尊氏徳川家康は紙幣の顔にはなりにくいということになります。西郷隆盛も同じことでしょう。天皇は敗戦後象徴となりましたが日本の中心にあるということを意味しています。国家や政治の形態は民主主義のかたちを執っていますが、最後は天皇が国民に代わって彼らを任命・承認するということになります。それに物事はなにか基準になるものが必要ですが、その基準は現在でも天皇にあるということにもなります。そして維新後、さまざまな法律や制度が作られてきましたが、敗戦後も残ったのは官僚制度だけだと言われています。そして戦後、門閥閨閥の代わりに学校歴ができたということになっています。その学校歴と官僚システムがリンクしているのが、今の日本のピラミッド型組織のかたちです。しかしこのグローバル化の時代ですからそのこともいずれは変容していくはずです。すでに実力がなければ身を立てることができないスポーツ界や実業界では、今までの民族主義的な物言いは通用しませんし、一番遅れているのが現在の制度で利益を享受している組織だということになります。また現代はⅠT革命も伴って新たな文明開化の時代ということにもなります。同じ組織にいてもそのことを推進しようとしたのが、当時の小栗忠順勝海舟ということにもなりそうですが、今日の政治と同じようにアメリカの「外圧」に沿って動くのか、内部から替えていくかという違いになります。その内側から替えようとしたのが小栗忠順だと考えています。この「日本工業化の父」といわれる人物は遣米使節団としてアメリカに渡り、蒸気機関車や蒸気船それを造る造船所を見て圧倒されてしまいます。そして彼は日本にもこういうものを造らなければと決心しています。ビルが立ち並ぶアメリカを見てなによりも近代化を考えました。その使節団には福沢諭吉勝海舟、ジョン万次郎も乗船していましたが、勝は使節団がツンフランシスコに着きますと、幕府の命令が出てまた咸臨丸で日本に戻っています。小栗らがアメリカに行く目的は日米修好通商条約の批准書を交換するためでした。小栗が乗ったのはアメリカの軍艦です。勝が乗っていた咸臨丸は木村摂津守を軍艦奉行に勝を艦長に使節団の護衛戦としてついていったものです。小栗たちを護衛し終えれば戻ってもしかたがありません。それゆえに勝はアメリカを見ていません。その悔しさは相当なものだったでしょう。