104 忠君とはなにか。

世の中をどうしたいと思う気持ちが乏しいわたしに、彼らの熱情や心の中を見ることはできませんが、彼らもまた幸福よりも悲劇の中を生きたのではないかという気もしてきます。幸福は夏の夜の流れ星のようなもので、その一瞬の輝きを目に焼き付けてまたいいことがありますように願うのが、わたしたちの人生のような気もします。世の中を変えたい、このまま人生を終えたくないという強い願望が自分を突き動かすのかもしれませんが、どんな人生がいいのかと考えるのは誰しも同じことでしよう。その願いをどこに置くかで人生は変わってきますが、天下国家を憂うよりも家族だと考える人間には幸福の中身も違ってくると考えます。その人の人生や歴史はその人だけのものですが、英傑や偉人の人生もふと立ち止まれば、これでいいのかと自問しない者はいないはずです。その考え方の起点を国家に置くか個人に置くかで生き方も違ってくるはずです。歴史上の人物はどの立場で、どういう見方をするかで変わってきます。信長を崇敬するかあるいは恨むかはそれぞれの視点で変化してきます。彼が比叡山を焼き討ちしたり、一向宗と熾烈な戦いをしたのも、経済戦争だと見れば残虐だと見ている彼の考え方や見方も変わってきます。比叡山でも一向宗の多い加賀や大阪はいわば独立国です。経済的利益を宗派が独占したいたことは多くの人々が知っています。信長側から見れば経済的な抵抗勢力ということになります。今日では残虐性ばかり強調されていますが、極端に言ってしまうとそのことも宗派のプロバガンダというふうにも見えてきます。自分たちの宗教がこれだけ弾圧を受け苦難であったがこうして存在している、神や仏法のご加護があったのだと喧伝できます。もちろん穿った見方と言えますが、たとえば今、わたしの手元に宮内庁発行の書物があります。そこには柿本人麻呂中臣鎌足楠木正成北畠親房豊臣秀吉・本居信長などの人物が忠君として載っています。人麻呂は天皇を崇める和歌を中臣鎌足大化の改新楠木正成後醍醐天皇について鎌倉幕府打倒に動いた人物です。北畠親房伏見天皇を始め多くの天皇に仕え『神皇正統記』を書いた人です。それは神代から後村上天皇の時代(一三三九年)までのことを書かれた歴史書です。本居宣長も『古事記』を今日のようにわたしたちが読めるようにして天皇中心の国学を広めた人物です。いずれも天皇天皇たる由縁を表した人たちです。秀吉は言うまでもなく信長や家康とは違い天皇に恭順し「豊かな臣下」になった者です。天皇に仕える人間、統治を受ける人間ということになります。簡単に言ってしまえば金持ちの家来ということでそれで平民から関白になったということです。いずれの人物も天皇に対して忠義を尽くした忠君というわけです。