101 武士は軍人・兵隊。

歴史には驚くほど子沢山の人物もいます。徳川第十一代の家斉は五十三人、十二代将軍家慶は二十七人、慶喜は二十一人いたとされます。信長は二十人、家康は十八人、彼らは子どもがいればいるほど勢力拡大ができます。それから見ると秀吉の不安や焦燥もある気もします。それゆえに親族の子どもを多く養子にしているのでしよう。そして秀吉の禁教後の鎖国時代にキリスト教国家が攻めてこられなかったのは、日本が世界でも名立たる軍事国家だったからと言える気がします。武士は軍人であり兵隊です。その上、戦国時代が収まるまでずっと戦をしてきたのです。強いはずです。まして日本は極東にあり、当時彼らが進出していた東南アジアから攻めてくることはできません。何隻の帆船がいるでしょうか。一艘二百人から三百人の人間を乗せてきたとしても到底制圧できることはできません。日本のどこに上陸しても武士はいます。戦うには食料も要ります。異国でどうやって調達をするのでしようか。もし彼らが制圧できるとすれば大名を味方につけ反乱を起こすしかありません。それを断ち切ったのが秀吉であり後を継いだ徳川幕府ということになります。ゆえに秀吉は賢いと思いますし布教を許可した信長だったら、先々はカトリック教国の手に落ちたのではないかと想像するのです。すでに大友宗麟小西行長黒田如水高山右近有馬晴信など多くのキリシタン大名がいました。彼らが連携すれば世の中は間違いなくひっくり返り、キリシタン国家はできたかもしれません。信者は施政者よりも信じる神の言葉を受け入れ、必ず軋轢を生むということはすでに述べました。遠く維新まで下り多くのキリシタン大名がいたとすれば、武器商人の裏側にいるイギリスやフランスに飲み込まれていたかもしれません。国学民族主義が広がったのも幸いもしたかもしれませんし、鎖国によってキリシタン大名がいなくなったのもよかったかもしれません。