100 名誉心からできた「記念像」。

 

禁教や鎖国がなかったら今の国家ではなく、天皇制も現在の「民主主義」国家はなかったはずです。彼らは国家の在り方を熟知し今のわたしたちよりも賢かったのではないかと想像します。敗戦後アメリカの「民主主義」が入ってきて二十六聖人を磔にした秀吉は悪者になっていますが、それは彼らの立場から見てのことです。殺された人たちには同情を禁じ得ませんが、それならなぜ長崎に原爆を落とした場所に、広島のように後の世に残す記念的なものがないのでしょうか。あるのは平和記念像です。それも長崎出身の彫刻家の北村西望氏が造ったもので、それまであった原爆投下による痕跡はなくなりました。まして西村氏は戦争中に軍人像を多く造った人物で記念像を造るということを耳にして、自ら売り込んだ人物だとされています。名前は「平和像」ですからその言葉からずいぶんと遠い言葉のようにも思えてきます。モデルとなったのも陸軍大尉の吉田廣一とされています。その後長崎に立ち寄ったローマ法王も訪ねてはいませんし、決して行かないというカトリックの人々も未だにいます。アメリカがキリスト教信者の多かった土地に原爆を落とした負い目から圧力をかけ、広島のようにならなかったことは多くの書物によって書かれています。歴史を消そうとしたということです。当時の市長はそのことを飲んだのですが、個人的には大罪を犯したのではと見ています。磔になった聖人たちは残り、原爆の悲惨さを残すものはあの「平和公園」にはありません。何度もあの公園を歩いて日本二十六人聖人の顕彰を目的にした博物館と、平和の像を見比べると複雑な感情になります。悪意でものを言っているのでもなく、一人一人の命の大切さもわかっているつもりですが、一瞬にして何万人もの人が亡くなったことと比べると一層重い気持ちになります。日本二十六人聖人像がカトリックプロパガンダというつもりはありませんが、少しでも公明・公正・公平に物事を運ぶのが民主主義の基本だと考えている者から見れば、やはり苦い感情が走る時があります。歴史は勝者が作っていくということも理解していますが、そういう意味でも禁教にした秀吉はもっと評価をされてもいい人物ではないかと夢想したりもするのです。英雄色を好むというたとえもあり、秀吉が女好きだったということはいろいろな書物にも書かれていますので確かにそうなのかもしれません。しかし子どもがあまりできなかったことを思うと、人間的な焦りも感じ別の人物像も立ち上がってきます。