99 禁教や鎖国は正しかった。

秀吉が明智光秀との戦いに勝利し天下を獲った時には、まだキリスト教は禁教ではありませんでした。国内には多くの伴天連や商人たちがいました。伴天連とはポルトガル語の「PEDRE」からきていて神父という意味です。当時、宣教師や商人たちは多くの日本人奴隷を売買し、マカオやインドのゴアなどの奴隷市場で売りさばいていました。奴隷の数は十万とも三十万とも言われていて、正確には把握できていません。また日本人奴隷ばかりではなく中国人・朝鮮人・東南アジア・インド人などといました。白人からみれば有色人種はみな奴隷として売買されていました。そのことは『大航海時代の日本人奴隷』(ルシオ・デ・ソウザ著・岡美穂子訳)を読むと詳細に述べられていますが、彼ら奴隷はアルゼンチンやアフリカまで売り飛ばされています。秀吉はそのことに激怒して伴天連追放をやり禁教にしたとも言われています。刀狩りとともにこの追放と禁教は日本の今のかたちを残す結果になったと思っています。なぜならそのことが国学を生み維新が可能になったと考えていますが、それを受け継いだ徳川幕府が逆に大政奉還につながったと穿った見方もしています。伴天連追放にはキリスト教が広まり一向一揆のようになるのではないか、あるいは彼らが仏教や神道を蔑ろにしたという理由もあると言われますが、秀吉が禁教にしたのは紛れもない事実です。当時、すでに多くの大名にもキリスト教は浸透していて、彼らが秀吉よりもキリスト教の教えに従えば国家は統治できなくなるどころか、別の国家体制ができる懼れもあったはずです。あるいはまた戦国時代に戻ったかもしれません。それゆえに徳川幕府も禁教にし弾圧を続けたのですが、国家にとって危険な思想だと感じなければ今日の日本はなかったと考えられるはずです。全体主義や独裁政治が宗教を遠ざけるのはそのためですし、当時の彼らもそのことに気づいたのだと思います。もしキリスト教が広まりを見せていれば東南アジアや南米の国々のように、日本の文化も彼らの文化の中に埋没して行ったと考えられますし、ゆくゆくはキリスト教圏の国々が支配したり植民地にさせられたはずです。わたしたちは今日秀吉や徳川幕府鎖国をやったことが悪かったような印象でものを言うことがありますが、わたしは逆だと考えています。