91 民主主義的な男。 

隠蔽と暴力は民主主義から一番遠くにあります。それゆえに歴史は権力者によって意識的にうやむやにされたり葬られたりするのです。しかし彼らが英雄として今日も生きているのはなぜでしょう。それは隠しても無理に押さえつけても浮かび上がってくるのは、権力者が潰しきれない言葉を持っていたからだと考えます。言葉が歴史を作りますし人間を作ります。歴史上の人物だけが群以外ということはありません。信長も秀吉も家康も自ら書いた言葉や書かれた言葉があるから形作られているのです。蘇我馬子聖徳太子が当時の残された文字があれば、また別の人物像が立ち上がってきたはずです。文字がなければ神話や伝承・伝説になると初めに述べましたが、それが歴史にならないはずなのにわたしたちは混同しています。文字や発する言葉が人間の輪郭を作りますが、西郷隆盛坂本龍馬にはそれがあるということになります。実際、二人の言葉は多く残されていて、抑えてもコンクリートの割れ目から伸びてくるような雑草のような趣があります。言葉が人物を押し上げてくるのです。政治的手腕よりも人間味のある言葉を持っていたからこそ、庶民の心に根がついたということになりそうです。竜馬の妻や姉に対する言葉、隆盛の二度までも島流しになり、なおかつ自殺まで試みた末に掴んだ言葉は彼の血肉になり、そしてわたしたちにも届いたということになったのだと考えます。人を見る目や自分が生きていくための言葉を自ら掴んだということになるのでしょう。「己を尽くして人を咎めず」「過ちを改めるには、自分が間違いを犯したと自覚すれば、それでよい。そのことをさっぱり思い捨て、ただちに一歩踏み出すことが大事である」「自分を甘やかすことは、最もよくないことである。(中略)自分の功績を誇って驕り高ぶるのも、みな自分を愛することから生じることであり、決して自分を甘やかす心を持ってはいけない」「人に提言するときには、公平かつ誠実でなければならない。公平でなければ、すぐれた人の心をつかむことはできない」などと人間の心理をしっかりと捉え、民主的なものの見方をしているから後世のわたしたちも彼に心を合わせ敬愛するのです。つまりどちらも人情味に溢れているのです。