87 秀吉と伊藤博文。

伊藤博文の親は中間から足軽をやっていたのですが、中間というのは武士の下働きや雑務をする者たちのことを指しますが、武家奉公人とも呼ばれていました。そこから政治の中心者に上り詰めたのですから、ひょっとしたら日本の歴史の中では秀吉と似ているのではないかと思ったりもします。あるいは身分制度がもっとはっきりしていた時代を考えれば、その出世は秀吉より上ではないかと夢想することもあります。どちらも農民として生まれ、共に似たような上昇を体現しています。どちらも使い走りから上り詰めているのです。しかし本当に幸福だったかどうかはわかりません。どういうふうに生きるかは心の問題だからです。そして武士の身分のこともあったし、ただの奉公人としての中間というのもありましたが、彼らには名字帯刀を許された者もいますし渡り中間という者もいました。小者という武士の私的奉公人もいましたし、それらは農民や町民の出身で一代限りの者も多くいました。彼らは一般に「奴さん」と呼ばれていたことも多くの人々が知っています。伊藤博文に次いで第三次内閣になった山形有朋もその一人で、伊藤が亡くなった後ますます力を増し元老となった人物です。なぜ「奴さん」と言われたかと言えば、彼らが纏っていた半纏の印が四角で豆腐のように見えたからです。また「三・一(さんぴん)侍」「三・一奴(やっこ)」と陰口を言われる者もいました。農民や町民に威張る人間もいたから逆にそしられるということもあったのでしょう。「三・一侍」とは一年間の扶持が三両一分だから一番身分の低い武士を蔑んだということになります。「三・一奴」も同義語です。一両は時代によっても異なりますが、大雑把に十万円から十五万円くらいではなかったかと言われています。