84 大いなる名田を持つ者。

その理由はいろいろとあるのでしようがそれまでの公家や諸侯・維新に皇籍のあった人々を加え華族としたのです。それまでの公卿・諸侯を廃止し公家一三七家・諸侯二七〇家・維新後に公家になった五家・新たに諸侯になった十五家などが華族となりました。その中に維新に功績があった元勲も加わっています。とくにこの華族は勲功華族と言われて敗戦まで続いていました。つまり大名や維新に功績があった人々がみな華族になり、新しい身分制度を作ったということになります。それまであった士農工商身分制度はなくなり、武士は士族・残りは平民というわけです。実は士族といっても禄高の多い武士から足軽までいて、その中でも上士・中士・下士・あるいは郷士とあります。領主や大名は華族に入った人たちも多いので省きますが、一般に江戸時代の大名は石高一万以上の「大いなる名田」を持った人たちのことを指します。また鎌倉時代から戦国時代までは大名主という言われ方もしていました。多くの土地を持ちそれを耕させて税金を納めていたということです。どちらもたくさんの土地を持っていたということになります。それらの人々が守護大名戦国大名となっていったわけです。力を持った彼らが軍事力や政治・経済力を増して一国一城の主になっていったということになります。それ以外にも旗本・御家人など多くの身分制度がありました。因みに上士は上級藩士のことで家老や若年寄・奉行など中士は中級藩士のことで御徒組頭や兵器役人・御台所付など下士足軽や中間のことを指しました。その区分けは細部まで行われていて、上士・中士は羽織の色が七段階に分かれ、足軽は襟の色が四段階に区別していた会津藩のような例もあります。禄高に対しても「知行取(ちぎょうとり)」「切符取(きりふとり)」「扶持米取(ふちまいとり)」「高賭(たかがとり)」呼び名が違っていました。「知行取」は百石以上の上士でお米とお金の両方を与えられ、「切符取」は五十石以下で同じように、「扶持米取」は一人扶持(一日五合)を支給され「高賭」は部下を持つ上司が藩から受けたお米を支給することです。今日のわたしたちから見れば彼らが着ている物や羽織っている物を目にするだけで、どういう立場の人間であるかわかる仕組みになっています。