70 いつかくる「プラハの春」。

 

なぜ日本人なのに国語や歴史の授業が少なく英語教育のほうが多いのでしよう。日常会話やビジネス英語をできることは必要ですが、歴史を学び知識を得るということはもっと大切だと考えます。なぜなら知識はいざという時の判断や決断する時に必要だからです。平穏に生きられる人生は皆無と言っていいでしょう。そのために役に立つのが知識や経験だと思います。もちろん会話ができるということは「グローバル化」した今の時代に必要なのは十分にわかっていますが、国語や歴史の配点よりも英語の配点が高いほうが偏差値の高い学校に行くというのも妙な気がします。多分、こういう考え方や見方はわたしのほうが間違っているのかもしれません。しかし今の日本はわたしたちが朝鮮にやってきたことを柔らかに真綿に包まれるようにやられている気がしてなりません。自国を自分たちの手で守れず農業・食料政策も他国に委ね、それを逸らすために戦後は輸出国にしてもらい豊かになりました。その結果アメリカに対してとやかく言う国民も少なくなり、原爆を二度も落とされ悲惨な目に遭ったのにものを言えません。またいつまでも過去に拘泥し小言を言っているのでもありません。ただ日本がアジアの最貧国だった朝鮮を豊かにして属国にしようとしたモデルを今はアメリカが日本にやり、国家の自立をさせようとしないということです。完全な独立を阻むということです。それは日米安保条約の条文をよく読むとわかりますし、初めにも述べましたがフランスのようにさせないということです。日米の蜜月は日本がアメリカに意義を唱えたり、反抗しだすと関係はすぐに崩壊するはずですし逆に攻撃をするということにもなります。どの国も自国の繁栄を一番に考えますから当然といえば当然のことですが、それでもアメリカは日本にはよくやってくれているとは考えていますが、なにもかも忘れていいということにはなりません。もし敗戦後社会主義国に日本が統治されていたら今の日本の繁栄はなかったはずですし、国家の分断や武力による属国はあり得たことです。それは戦後の朝鮮半島やヨーロッパのことを思い起こせば理解できます。いざ抵抗を見せると「プラハの春」の「チェコ事件」のようになってきますしそれらのことに似たことは世界中にあります。国家と国家が古今東西、未来永劫まで仲良くできるということこそ幻想です。国家の安全と防衛は自国で守るというのが歴史から学ぶ基本的なことですが、そのことを日本人は戦前の軍国主義が行きすぎたこともあり、なおかつ他国が日本に非があるあるというプロバガンダが、わたしたちを洗脳しているという気もしてきます。日本語にもなっていない「平和憲法」でどうやって国民の生命と安全を守るのかと思案もします。お題目ではなく具体的にこうして守るということを提示しなくてはいけないということです。個人的には先に述べましたがフランスのような国家造りがいいのではないかと考えます。