64 人間は悲劇の中を生きる。

 いざとなったら同盟国のアメリカが助けてくれるでしょうか。古今東西の歴史を俯瞰しますと自国に地理的・経済的あるいは希少な鉱物などがある場合は死守してくれるでしようが、なんの利益にもならないと思えば救う必要もありません。わたしは少年時代に読んだ女性たちが次々と船上から身を投げる姿を忘れることができません。また老母が原爆投下の一日前まで広島にいて難を逃れましたが、五十年後に広島に行くと亡くなった友人の姿がフラッシュバックしてきて青ざめていた表情を忘れることもできません。戦争は絶対悪だと考えています。少し横柄な物言いですがなぜ日本の政治家は真剣に議論しないのかという危惧があります。公人が無関心を決め込むというのは犯罪だと考えます。多くの先人たちの犠牲の上で戦後生まれのわたしたちは戦争に行かずにすみ、なおかつ飽食の時代を生きてこられた有史上最も恵まれた世代です。この平穏をもっと続けられるようにと願うだけではなく、どうすればそれが続くのかと考えるべきで考えすぎることはないはずです。政治家は国民の生命と安全を守るとよく言いますが、どうしたら守れるのだという気持ちになります。悲劇はどの国にもありますし個人にもあります。その悲劇の中を生きるのがわたしたちではないでしょうか。だからわたしたちは助け合わなければいけませんし、いつまでも怨念を残してはいけないということになります。そしてその怨念は被害を与えた側よりも受けたほうにいつまでも残ります。日本の国内の戦争も同じことで物も女性も戦利品となります。戊辰戦争のおり薩長会津を攻め落とし女性たちを蹂躙しました。そして西南戦争になった時今度は政府軍として行っていた水戸・会津藩は薩摩の女性たちを蹂躙しました。厭な言葉ですが「会津に処女なし、薩摩に処女なし」という言葉が生まれたほどで、近年に至るまで薩長会津は嫌悪し合い仲が悪いものでした。なにも露悪的にものを言うつもりはありませんが、記憶に留めて許すという感情がなければいつまで経っても仲良くなることはないと考えます。そういう意味ではアメリカと日本は日本が忘れたふりをすることによって、珍しくうまくいっているのではないかと思います。もちろんわたしたちを食べさせてくれるようにしたアメリカの配慮した政策もありますが、巧妙に植民地にさせられているのも彼らの勝利だと考えます。