56 帰化人と渡来人。

韓国の博物館にも何度か訪ねましたが仏像でも寺院でも日本の物のほうがほとんど立派です。それは豊かさが違うからだと言うことにもなりますが、失礼ながら彼らには覆す言葉や文字がないのに、自分たちの優秀性だけを押し付けます。わたしは韓国人にも何人かの知り合いがいて、優しくていい人物が多いと敬服もしています。見ず知らずの人に道案内でわかるところまでわざわざ案内してもらったこともありますし、店の主人と二人で飲み続け一切料金を受け取らないで逆に困ったこともあります。江華島では胡桃を持って行けと渡されたこともあります。持っていれば運が向くというのです。今でもその胡桃は大切に持っています。いい人と出会えばそこがいい土地だったり国だったりします。旅の良さは名所旧跡を訪ねるのもいいものですが、本当にいいのはいい人に出会うから懐かしい思い出になるという気もします。しかし国家間は違います。個人と国家は別だと割り切ればいいのかもしれませんが、わたしたち人間は理性よりも感情が優先します。歴史認識をしろと言うならあなたたちもそうしなさいという気持ちになることもあります。たとえば『日本書紀』には「渡来人」という言葉は一つも出てきません。出てくるのは「帰化」や「来帰」「来朝」「帰朝」という言葉だけで「渡来」という言葉は見つかりません。近年は「帰化人」という言葉はほとんど使われなくなり「渡来人」というのが一般的になってしまいました。渡来人というのは海外からやってきた人ということです。その中には戦争で逃げてきた人もいますし、生活が苦しくて新天地を求めてやってきた人もいるでしょう。また迫害を受けてやってきた人もいるはずです。島国というのはそういうところがあります。日本でも北海道のことを思えばよくわかります。さまざまな人々がそれぞれの事情で渡っています。アメリカだって同じようなものです。それをただ渡来という言葉だけで表現してはいけないと考えます。その言葉は鳥たちの越冬と同じようにただやってきたという意味ですが、古代での「帰化」という意味は君主の徳に感化・教化されて化外(げかい)の者がその下に就くことです。化外とは中華思想において彼らの権力が及ばない土地や国のことを指します。反対に化内(けない)という言葉があります。その意味は天子や王に服従した国で統治の及ぶ国や土地ということです。中華思想は華戎(かい)思想とも呼ばれますが世界の中心にもっとも文明のある中国の天子がいて、天子・内臣・外臣・朝貢国、そしてその外に東夷・西戎・南蛮・北荻とあります。その権力関係は天子・外臣・冊封国・非文明国ということになります。