54 「属那」。

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今日ではすっかり韓国に対しては植民地という言葉が定着しましたが、本来は一九一〇年(明治四十三)に日韓併合しその領土を日本が統治するようになったものです。当時冊封国だった朝鮮を宗主国の清は「属那」と主張して強く反対しています。属邦とは属国という意味です。「邦」は国や州のことを指します。だから「連邦」と言えば二つ以上の州や国が集まって国家を形成しているということになります。当時の朝鮮も属邦と認めて日本は彼らとの条約に、朝鮮は自主那で日本と平等の権利を保有すると記載しています。その李氏朝鮮は中国の属那だが内政外交は自主だと主張し、アメリカや他のドイツやフランスも条約を結ぼうとします。ロシアも進出しようとし大変な時期でした。宗主国から距離を取ろうと他国の力を借りようとする勢力、宗主国の清国との関係を維持しようとする勢力もあり、クーデターや軍乱・政変が頻繁に起きています。朝鮮がどうなるかわからない状態です。その延長に閔妃暗殺もあったのです。なにも日本が簡単に併合したわけではなく、朝鮮そのものが外交・内政とも混乱を極めていました。もちろん日本の思惑があったのは確かですが民族として近しい感情を意識していたのも事実でしょう。他国の妃を暗殺するということは民族の怒りを買うのは当たり前のことですし、それは満州建国の溥儀の仕打ちに対しても同じことでしょう。当時の時代性を考えても列強がみな関与していたのですから話し合いでという解決方法は、なかなかに困難な状態だったはずです。また彼らにとっても冊封国からの自立が望みだったことも真実ですのでそこを突かれ日韓併合となったとも言えます。そして戦前・戦後と日韓の軋轢は続いているのですが、日本人のわたしたちにも負い目からか歴史をしっかりと教えない不幸があります。韓国は歴史認識とよく言いますが古い文書を持たない彼らの歴史は、日本よりはるかに新しいものです。彼らが「正史」としている『三国史記』は高麗の金富が一七代仁宗の命を受けて新羅高句麗百済三国時代から統一新羅の末期までのことを書いたものです。一一四三年から書き始め二年後に完成したものですがそれが韓国では現存する一番古いものとされています。日本の『古事記』や『日本書紀』がそれぞれ七一二年・七二〇年に書かれたものですから日本とは四三〇年もの開きがあります。わたしも手元に持ちよく読みますが『古事記』や『日本書紀』と符合するところもあり興味深いのですが、古代から朝鮮は日本に攻め続けられています。それは数えきれないほどです。『三国史記』が書かれたのは平清盛が台頭してくる時代ですから新しく、彼らが気まずいことや書きたくないことは記載しないでしょう。侵攻を五百回もされたと言われる国ですので書かれたこと以上にあったはずです。毎年のように攻められてもいます。海を渡って戦いに行くというよりも、日本の領土がありそこから攻めたというのがわかりやすいことにもなります。