48 フラッシュバックする戦争。

f:id:satoyojiro:20210409225011j:plain 彼女が原爆の被害を受けていればわたしはこの世にいないわけですが、それから戦争のことが気になるようになりました。神社や離島巡りをしていますのであちこちを歩いているほうではと思っています。そのおりに国内や島の被災地、あるいは沖縄のひめゆりの塔や鹿児島の知覧特攻平和会館などを歩きました。とくに知覧から飛び立った若者の記録を目にしますと涙が出るほどでした。死にたい人など一人としているわけではなく、みな御国のため家族のためにと自分の心を殺して死んで行っています。この世に同じ生を享けて国家や人のために死ぬとは一見立派なことのように見えますが、残された家族には一生心に痛みや哀しみが残ります。初めのほうにも書きましたが、人間の営みの大元は家族です。それが親族・一族・民族となって国家を形成していきます。家族の「族」というのは弱い人間が群がり集まって生きる最小単位です。ゆえに自分の家族も人の家族も大切ということになってきます。中国の二百三高地七三一部隊の跡地にも行きましたが、戦争は屍を重ねるだけで誰も幸福にも平和にもしません。しかしわたしたちはそのことを有史上・古今東西繰り返しています。そこにありもしない平和や民史主義を求めてです。ちょうど戦後五十年前、母と一緒に広島に行ったことがあります。渋る彼女に対して以前勤めていたことがある土地だからと、こちらのやさしさから誘ったものでした。わたしは彼女もそのうち喜ぶだろうと楽天的でした。そうして市内の入ってくると彼女はだんだんと言葉数も少なくなり、そのうち表情がすぐれなくなり乗用車の後部座席に横たわりました。車酔いでもしたのだろうと思っているとついに横たわってしまいました。ドーム記念館に着くと自分は行きたくないと言い出し嘔吐をする始末でした。それではと市内を出て宮島に向かうとようやく心身は落ち着き、当時のことがフラッシュバックしてきて気分が悪くなったのだと言います。わたしは驚いて言葉がなかったのですが、御国のために亡くなった人は当然悲しいものですが、生き残った母たちも記憶が消えないのだと思いむしろ戦争の恐ろしさを感じました。国家とはなにか軍隊とはなにかということを考えます。歴史を振り返ってもいつも誰のための戦争かということは思案します。群がり集まって生きている人間は孤独ですし不安です。そのわたしたちをもっと孤独に陥れたり、哀しみのどん底に突き落とす戦争はどこの国民に対しても同じ環境をつくってしまいます。