46 なぜ「浦上天主堂」は消えたか。

f:id:satoyojiro:20210407132731j:plain東京空襲では十万人以上が死んだと言われ数百万人が家屋を失ったとされています。それまでにも日本の重要な都市の六十カ所以上が空襲を受けています。その上、原爆投下の前にはポツダム宣言を提示されていますが日本は降伏しません。アメリカにも殺戮兵器を使うことに慎重な人々もいました。しかし諦めない日本に戦争の終結がないと考えた人たちもいますし、すでに原爆をどこに落とすかも決めていました。投下の前には京都・広島・横浜・小倉・新潟と候補に挙がっていました。軍事基地や工業地帯でなおかつ周囲が山に囲まれた土地と定めました。山や盆地であれば原爆の威力を確かめられるということです。そうして広島に落とされて次は小倉ということになっていましたが、天候不順で長崎に落とされあの惨事というわけです。当時長崎にはロマネスク様式の大聖堂がありました。浦上天主堂のことでず。東洋一の大聖堂と言われていました。その近くに原爆が落ち多くのキリスト教信者が亡くなりました。つまり同じ宗教の信仰者が原爆を落としたのです。広島の原爆ドームと同じように保存する話もありましたが、結局はそうならず日本人の手で壊されましたがアメリカの圧力があったのは否めません。戦争は始まれば誰が正しいとか誰が悪いということにはなりませんが、終結し勝ったほうが新しい歴史を作っていくという一例です。今日残っていれば世界遺産になっていたはずです。その時のアメリカの気持ちはどうでしょう。同じカトリックの人たちの気持ちはどうでしょう。そして人を一人殺せば殺人者ですが信長でもナポレオンでも大量殺戮しても英雄となります。それはチャーチルでも毛沢東でもスターリンでも同じです。仮にヒトラーが勝者となっていれば彼も英雄になるのです。一人の英雄が出来上がるまでに多くの人々の屍が積み重ねられていくということです。そのことをわたしたちは忘れがちで、テレビでも映画でも殺される人間のことが描かれることは少なく勝者の英雄たちに焦点を合わせてしまいます。戦争の本当の不幸は信長が死ぬこともそうですが殺される人々のほうに多くあります。そして勝者は自分たちに都合の悪いことは隠蔽しようとします。薩摩が寺院をすべて壊したこともアメリカが浦上天主堂のことを隠すのも同じです。キリスト教の信者が多い長崎に同じ宗教を信仰する人間が攻撃したという負い目があるからです。そんなことは日本でもアメリカでも列記できないほどたくさんあります。だからと言って後からとやかく言ってもどうなるものではありません。先々に目を向けなければ進歩も発展もないということになります。そういう意味では多くの先人たちの犠牲の上に今日の日本の繁栄があり、わたしたちは戦争のない時代を生きらせてもらっているのですが、主義主張を別にしてどうしたら戦争にならないか、どうしたら巻き込まれないかと常に考えなければいけないと思っています。大上段な偉そうな発言ですが、戦争になって喜ぶのは武器を売る商人や国だけかもしれませんが結果的にはすべての人が哀しむということになってきます。それらのことを思うと一人の賢者が道を外れることがなく政治をやることが一番いい気がしますが、人の人生には限りがあります。いつまで続くということはありませんので全体主義や独裁政治に陥りやすい政治よりも、多くの人々の投票で決まる「民主主義」のほうがいいと考えます。もっとも日本のように政治家の二世・三世への世襲や突出した官僚上がりの政治家の数は組織の硬直化を生みます。やはりアメリカのようにさまざまな人々が政治に関わる国のほうがいいと考えます。むしろアメリカは自由で「民主主義」の国だという思いを抱きます。ただ自国が不利になるようなことがあればどの国でも自国のことを一番に考えるということです。