37  薩摩藩はすべての寺院を破壊した。

歴史はなにが正しくてなにが悪いということはないと思います。歴史が再び反転すれば今は時の流れに沈んでいる人物が再び浮上してくることはありますし、思いもしなかった人物が立ち上がってきたりすることは歴史が証明しています。人は真実を知りたいと探っていきますし暴いたりもします。今日では維新後の摩長政治と天皇に近いと思われている楠木正成や『神皇正統記』を書いた北畠親房などが崇敬を集め教科書にも載っています。楠木正成鎌倉幕府打倒に貢献した人物です。北畠親房の『神皇正統記』は神代から後村上天皇践祚を書いたもので、践祚は即位のことや三種の神器のことなどが書かれ天皇をこの国の最も貴い人だと表しているのです。また三種の神器八咫鏡(やたのかがみ)天叢雲剣(草薙剣)(あめのむらくものつるぎ・くさなぎのつるぎ)八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のことで天皇になる人が受け継ぐ宝器です。現在、八咫鏡伊勢神宮天叢雲剣熱田神宮八尺瓊勾玉は皇居にあると言われています。もし賊軍にされる徳川家が勝手いれば小栗忠順新撰組近藤勇土方歳三は、徳川慶喜勝海舟らとは別の評価が下されるということになります。英雄も代わるということです。歴史は勝者のものと言われそれは当然のことですがどんな歴史にも闇は存在します。それを見せるか見せないか、暴くか暴かないかは時の判断というものでしょう。そういう意味では明治維新は世の中が逆にひっくり返った革命ということになります。勝った薩摩長州は新たな天皇国家を造ろうとして神仏分離を始めなにもかも変えてしまいました。欧米の制度を採り入れ列強に支配されないように頑張ったのは事実ですが、日本の文化まで破壊したと個人的には考えます。後から振り返ってのことでからなんでも言えますが、天皇を頂点に国家造りをした薩長の政治は、実は敗戦まで暗い影を落としてしまいます。それは軍人官僚の出身地を知ればわかります。石原莞爾東条英機をはじめ多くの軍人は反薩長の出身の人物が多いようですし、今日の原発がどこに造られているものが多いかと地図を広げますと、圧倒的に旧徳川方についた藩が多いとわかります。福島・東海村・福井・松江にというふうにです。もっとも例外はありますので一様ではありませんし、わたしの穿った見方だと思いますが、彼らの派閥はまだ続いているのではと思ってしまいます。画家や文人に茨城や福岡に多くの人たちが輩出しているのも政治分野に進みにくかったからではないかと考えます。たとえば廃仏毀釈においては政治を司っていた薩摩長州は藩内の寺院をことごとく壊してしまいました。当時薩摩藩(鹿児島と宮崎の一部)では一六一六あった寺院はみな壊され、三千人近くいた僧侶もみな還俗させられてします。そして西洋化を急ぎ彼らに攻められないためにも軍備を備えなければなりませんでした。だからすべてが神道国家造りということではありませんが薩摩藩は潰した寺院の釣り鐘や仏具の金属を溶かし大砲や武器を製造しました。それは後からの言い訳に似た建前論でしょう。寺院や仏像をすべて壊してしまうのです。怨霊、祟りをもっと恐れる国民です。なんらかな意味付けは必要で壊す人間は恐れたはずです。それが全国的に行われたのです。国の内外は今のわたしたちが想像するよりはるかに変化していたのです。除夜の鐘が聞くことができなかったと言われています。