32 平家と平氏の戦い。

f:id:satoyojiro:20210307201223j:plainそして源平の戦いになるのですが源氏の元にも平氏もいましたし平家の下にも源氏の武士はいました。厳密に言いますと源平の戦いは源氏の棟梁である頼朝を平氏や源氏が担ぎ、伊勢平氏である清盛の親族や一族を頂点に他の平氏や源氏が一緒に戦ったということになります。だから源平の戦いは頼朝は源氏ですが実際は平氏と伊勢平家を中心の戦いということになります。今は一般に平家の落人と呼んでいますが平家ばかりではなく落人には平氏も源氏もいたということになります。そして頼朝の子どもや孫、弟の範頼や義経まですべてが悲劇的な死に方をしています。そこには平家以外の平氏の政権取りがあったのではという思惑が個人的にはあります。平氏に囲まれた頼朝は本当は神輿に乗せられた人物だったのではないかと穿った見方もできます。平氏が平家の棟梁に源氏の棟梁を立てたという図式です。彼の死因も馬から落ちたのが原因と言われていますが当時の馬は現在のサラブレッドと違い小さなものです。本当だろうかという気もしてきます。落馬で死んだとされる人間は藤原鎌足を初め多くいますが、死んだ人物は謎の死の人物が多くいます。源信・島津宗久など政局がらみのものが多くあります。頼朝以下の親族の死は血を絶えさせるような行為のような気もしてきます。もちろん個人的な思い込みですが彼らが悲劇すぎるからよけいにそう感じるのでしょう。いずれにせよ武士や権力の中枢にいる者は悲劇的だとわたしは歴史から学んだ気がします。現在のようにみんなで的な選挙はありませんから相手を倒して権力を獲るわけですからいずれはとって変わられるということになります。悲劇から逃げられないのも権力者の宿命と言えます。源氏が実際に天下を獲るには足利尊氏が出てくるまで待たなければいけないということになります。また平氏の落人という言葉はありませんが平氏も源氏の落人もいたということになります。わたしは島巡りをするのが好きでずいぶんと行きましたが源平の戦いは相当にすごい物だと実感したことがあります。平家が治めていたどんな小さな島でも勝った「源氏」の武士が反対に支配するようになっているのです。それを知った時に学校で習ったことより激しく国内を二分した戦いだったのだと気づかされました。そして戦国時代になるまで常にその渦中に天皇がいるのです。それは国は天皇の物でそれを取り戻そうという意識が根底にあるからです。日本の国内の戦争はみな土地が絡んでということになります。勝者が手に入れるということです。だから徳川幕府が倒れた時にまた天皇の土地になりましたし日本が負けた時に戦勝国の者になったから農地改革ができたのです。国有地として払い下げもしました。あの改革は日本の政治家がやったのではありません。小作人だった人々はアメリカの政策に喜んだ人々もいるはずです。本来土地というのは誰の物でもありません。その土地を有効に使ってわたしの生活を豊かにするというのが一番の目的で値段が上がっり下がったりしてはいけないことなのです。お金のように動いてはいけないのです。だから動産ではなく不動産というのです。その不動産が前後不動産のようになっているところが問題で貧富の差が拡大していく可能性があります。すでにそうなっているのかもしれません。