27 造化三神。

一般に「尊」も「命」も神や高貴な人につけるのは違いはないのですが、『古事記』では「命」、『日本書紀』では最も貴いもの「尊」、それ以外のものに「命」が使われています。すでにこの頃から日本人が言葉に対して神経を使っていることがわかります。「みこと」は「御事」あるいは「御子」からきていて「御事」は神や身分の高い人の言葉「御子」はその子どもの言葉という説もあります。また「命」はしっかりと人格を持っている人のことで「尊」はそうではない観念や想像上の神々だという人たちもいます。たとえば「天之御中主尊」(あめのみなかわぬしのみこと)は日本神話においては神々の中で最初に登場する神で神名は天の真ん中を支配する神、高皇産霊尊」(たかみむすびの命)は別名高木の神とも呼ばれ木を神格化したもの、神皇産霊尊'(かみむすひのみこと)は母性の神だとされています。いずれも神話上の造化三神とされ「創造」の神々だと言われています。つまりは人格がないということになります。ちなみに産霊(むすび)は生産や生成を意味する言葉だと言われていますから尚更人間からは遠いということになります。またほかにも「国之常立尊」(くにのとこたちのみこと)「月読尊」(つくよみのみこと)と例に挙げますと造化三神が混沌としていた国を造れば、「国之常立尊」は「日本書記」では天地開闢のおりの一番最初の神とされ、国を国土、常(とこ)は土地と考え国土が永久に存在する意味だと捉えられています。人か神か判然としないものに「尊」と文字を与え敬ったということになります。彼ら神々の「尊」にはほかの書物には「神」「命」という文字も充てられてもいますから、当時の書き残した人がどういうふうに見ていたかわかってくるということになります。「尊」であれば想像も思い込みも入り、「命」であれば人格を意識して書いたのかはっきりとしたモデルがあるのかということになってきます。「月読尊」は月を神格化し夜を支配した神だと言われているから「尊」という文字を充てられたのもそういうことだと考えられます。時代が現代に近くなるにつれそれぞれの文字によって書かれることにより物事やその人たちの存在が霧の中に隠れていくということになってきます。たとえば前項にも戻りますが中華思想から見れば東夷だった中国東北部女真族が支配し、「金」「清」と代わっていった土地を、なぜ日本人は「満州」という国名にしようとしたのか、それも言葉を探っていけば見えてきます。女真族から清国創立まで紆余曲折の歴史の経緯はありますが、「満州」という言葉は当時の一部族の名前でしたがやがて十九世紀には国名になってきました。五行思想は古代中国の自然哲学の思想で万物は火・水・木・金・土の五種類の元素からなるという考えです。五行説とも言います。その満州族が「満」も「州」も「清」もみな国名に「さんずい」をつけているのは明の国の「明」という五行説の「以水克火」からきているとされています。水は火に克という意味です。それほど漢民族女真族の闘いがあったということでしょうしその文字に思いを込めた彼らの考えが今でも伝わってきます。そういう歴史上の経緯を知っていて日本が滅びゆく清国の大元である満州国を改めて樹立しようとしたのです。