24 。伊勢津彦命(1)

伊勢という地名は『伊勢国風土記』では出雲健命、またの名を伊勢津彦命・櫛玉命くしたまのみこと)、あるいは『伊勢都比古命』と記されています。一般に天津神系の神ではなく国津神の神だとされています。国津神高天原天津神系の神ではなく葦原中国にいた神ということになります。そう考えるとはじめは伊勢を支配していたがそこを奪われたということになってきます。その出雲健は『古事記』には登場しますが『日本書紀』には登場してきません。この神は先にも書きましたが日本武尊熊襲健を殺した後に出雲にも立ち寄り、斐伊川で水遊びをした後に偽物の刀を握らされ殺されたという神です。その出雲系の神の名前が地名としてつけられたのか。言霊や怨霊鎮めのためにつけられたとしても不思議ではありません。神社にはこういうことが無数にあり、殺された者の祟りを怖れ、神社や土地の名前にしたり、合祀した後に征服された神を称えて祀ることは多くあります。その伊勢津彦にはよく似た話があります。今は諏訪に鎮座している建御名方神がそうです。彼は出雲系の大国主命と古志の沼河比売との子だとされています。古志は今の新潟県でめのうの産地とされています。出雲の国譲りのおりに登場する神ですが建御雷神に敗れて諏訪に逃げ、そこにとどまったとされる神です。建御雷神は現在の鹿島や香取神宮の祖神となっています。出雲を平定し神建御雷神に勝った神として武人たちの崇敬を集めている神社です。仏習合の時代には春日大社も同一ですから祭祀を司っていた藤原氏の祖神という位置にもなっています。その伊勢津彦は『古事記伝』の中で本居宣長は建御雷神と伊勢津彦は同一人物と書いていますす。いずれにせよ猿田彦も出雲健もあるいは建御名方さまざまな諸説があり、その諸説はたくさんの書き残された文字があることによって、逆にどんな人物だったかどんな歴史だったがわからなくなり推理小説を解くようなことになっています。その伊勢は明治になるまで天皇家が自らの祖神を祀っている伊勢神宮に参拝されていない不思議さはなんなのかという思いも個人的には湧いてきます。そして伊勢の国学者本居宣長は辞世の句に「敷島の大和心を人問わば朝日に匂ふ山桜花」と詠んでいます。その宣長は伊勢の松阪に豪商の子として生まれ当時『古事記』が解読不可能になっていたものを三十数年かかって、今日のわたしたちが読めるようにしてくれた人物です。